半島トーク2:真鶴出版 川口瞬さん(真鶴半島)

2018年6月30日(土)。神奈川県の真鶴半島にある「真鶴出版」の2号店で開催された「半島暮らし学会」のキッフオクイベントにて、「真鶴出版」を営む川口瞬さんにお話しいただいた内容の完全版をご紹介します。
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目次 

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真鶴出版という名前で、泊まれる出版社と言って、宿泊施設兼出版をやらせてもらっています。最初に簡単に自己紹介をすると、僕は山口県岩国市というところで生まれていまして、小学校5年6年生までそこにいて、それから房総半島に移住をしてます。いま31歳になります。学生時代に、大学4年のときに渋谷にあるSHIBUYA PUBLISHING AND BOOKSELLERSという本屋兼出版社がありまして、そこがまだできたばかりで社員2人くらいのときにインターンをさせてもらっていました。「ROCKS」っていう雑誌の編集とか広告営業であったりとか、そこでFREITAGっていうブランドとコラボしてお店とかイベントをやったりとか、そういうことをやっていました。

ただ、そのことにもうIT系の企業に内定が決まっていて、いったん東京のこんなビルにあるIT系の企業に勤めました。ただ、勤め始めたころから、いつかは自分で仕事を作りたいなという思いがあって、でも思った以上に良い会社で、すごい居心地がいい会社で、このままいたらこのままここにいそうだなと逆に危機感を覚えだしまして。これが働きながら作った雑誌になるんですけど、出版をちょっとやったことがあったので、自分で働きながらリトルプレスっていわれる自費出版の雑誌を始めました。これがWYPっていう雑誌で、いま3号出ていて、創刊号でインドを特集して、働きながら働き方について探るっていうテーマで、インド人の働き方とか生き方であったり、これは渋谷のヒカリエっていうところで、こういうメンバーでやってるんですけど、ヒカリエの8階に展示スペースがあって、そこで展示しながら雑誌をつくるっていう試みをやったりとか、そういうことをやってました。

WYPヒカリエイベント

ヒカリエでのイベントの様子


 

出版の仕事をしたくて辿りついたのは真鶴の「岩」

そうこうするうちに、もともと出版がやりたくてやりはじめたわけじゃないんですけど、やりたいことを探すためにこれをやってたんですけど、やりたいこと自体が出版だったのかなというふうに思いはじめて、辞めたいなーと思っていたら、妻がフィリピンで働くことになって、こりゃちょうどいいなと思って(笑)。フィリピン英語留学っていうのが当時ちょっと流行り始めた頃で、ちょっとフィリピン英語留学に行きたいので会社辞めますって言って、会社を辞めました。そこに8ヶ月いたんですけど、戻ってくるタイミングで、自分で出版の仕事をしたいなと思って、そうすると東京だと結構家賃とかも高いので、どっか地方でやりたいなと思って。で、知り合いの写真家のMOTOKOさんっていう、くるりとか木村カエラとかのCDジャケットの写真を撮ってる方なんですけど、その方が地方の写真もいっぱい撮っていて、そういう人と知り合いだったので、どっか地方でおすすめはありますかって聞いたら、真鶴を勧められて、真鶴にやってきました。

真鶴半島地図

真鶴って、この小さいちょびっと出ているところで、もうちょっと拡大するとこんな感じで、これが箱根の芦ノ湖なんですけど、ちょうどすっぽりはまるぐらいの7平方キロメートルの大きさになっています。たぶんなんとなく地理の話とかしたほうがいいのかなと思って(笑)、もともとの成り立ちは、つい最近までは、箱根の火山が噴火して、溶岩が流れて、こういう形になったと。なのでここ全部、安山岩で土地ができていて、小松石っていう日本で真鶴でしか採れない石が採れて、天皇家の墓石とか…

<会場から>住所が岩っていうのがすごいですよね
そうです、住所も「岩」で。石材所と漁業が盛んなところです。っていう説があったんですけど(笑)、2年前くらいにわかったのが、箱根の火山ではなくて、このへんに火山が2つくらいあって、それが噴火して流れ出てできたっていう説に変わりました。あと名前の成り立ちは、これは翼を広げた鶴…こっちが鶴の顔で、翼を広げた鶴だと。それで真鶴だと。真鶴っていつから呼ばれているかって調べると、もう平安時代より前から呼ばれていて、その頃にどうやってこの形を把握できたのか…っていう謎はあります。

真鶴

簡単に説明すると、半島の先端に三ツ石(みついし)っていう3つの巨大な岩があって、遠くで見るとただの岩なんですけど、近づいてみると3階建てぐらいの大きい岩が3つあります。ここに、御林(おはやし)っていう森があって、もともと草原だったところに、江戸時代に江戸の大火で、江戸に木材が足りなくなって、江戸幕府から木を植えなさいっていう命令が小田原藩にくだって。小田原藩がここに木を植えだして、それが育っていって、350年経って森になったという。江戸幕府のあとに、天皇家所有のお林っていう、御料林(ごりょうりん)っていわれる天皇家の林になって、その頃から尊敬の念を込めて、林に御をつけて御林っていうふうに呼ばれるようになりました。これがあるので、魚が寄ってくるっていわれて魚(うお)つき保安林のひとつになっていて、真鶴は他のところよりも魚種が、魚の種類がすごく多く獲れると言われています。

御林

いわゆる真鶴っていうとここの、これから街歩きに行く港周辺になるんですけど、もうひとつ岩っていう地域がこっちにあって、さっきちょっと房総半島でも話されたんですけど、岩のほうは結構、漁業もやってる人もいれば、石材業とか農業とか、みかん農園とかもあって、そういう方もいたり、岩のほうがちょっと落ち着いている気風があって、真鶴のほうがちょっと気性が荒いというか、そういうのが今でも地元の人って結構わかる感じがします。あとおもしろいのが、こっちのほうも真鶴で、って言ってもほんと車で15分くらいなんですけど、ここの人は山の民って自分たちのことを言っているという(笑)。海の民と違うっていう風に考えているみたいです。

三ツ石

しめ縄が括りつけられているのが「三ツ石」

ここが港で、このへん行くので、あと今でも朝市が開かれていて、やっぱり海産が有名です。これが三ツ石で、これが御林ですね。天皇の御料林だったので、戦争のときとかもあんまり使われずに、残っている形です。今なら普通に森林浴とかもできる場所になっています。あとはこれ来月の7月27日・28日で行われる、貴船(きぶね)まつりっていう、神輿をのせた船が一番名物になっています。

貴船まつり

華やかな貴船まつり


 

街の美しさと人とのつながりが真鶴の魅力

ここまでが観光マップとかに載っている真鶴になるんですけど、僕らが勧めている真鶴っていうのが、ちょっと見えないですかね、懐かしい風景、これ井戸なんですけど、井戸があったりとか、懐かしい風景が残っている。あとは背戸道(せとみち)って呼ばれる道があって、それがこういう車が通れない路地のことを背戸道っていうんですけど、この背戸道がすごく、本当にいろんなところに背戸道が張り巡らされていて、こういうところを街歩きするとか、写真に撮ったりするっていうのを勧めています。

背戸道 真鶴

よく聞かれるのは、なぜ真鶴なのってよく聞かれるんですけど、そのひとつが、人のつながり。最初に真鶴に行ってから、紹介してもらったりするんですけど、それがどんどんつながりが広がっていって、本当に移住者って言っても分け隔てなく交流してくれるとか、そういうところが気に入っています。もう一つが、美の基準って呼ばれる条例があって、ここにも何冊か…。これをちょっと回してください。25年前にできた条例なんですけど、町が作ったものなんですけど、イラストとか写真と文章があって、たとえばひとつ読み上げると、「人が立ち話を何時間もできるような、交通に妨げられない小さな人だまりをつくること。背後が囲まれていたり、真ん中に何か寄りつくものがある様につくること」みたいな感じで、街の美しさっていうのを69個のキーワードで指定していて、これを実践しましょうねと。

たとえば「静かな背戸道」、車が通れない道を大切にしなさいとか、「実のなる木を見てうれしくない人はいない」って言って、庭に植える木はなるべく蜜柑とか、檸檬とかの実のなる木にしましょうとか。人が触れるところに花を植えましょうとか。そういう69個のキーワードがあります。それがあるっていうので、安心感というか、この美しさがこれまでもおそらくずっと残されるんだろうなっていう安心感があって、住みたくなりました。

真鶴


 

地域のコミュニティへの入り口を目指す真鶴出版

簡単に僕らの活動の概要を紹介すると、真鶴の地図を作ったりとか、移住促進のパンフレットを作ったり、これはオリジナルの出版物で、干物が名物なので、干物引換券付きの本を作ったりとか。これは雑誌のソトコトさんが真鶴でイベントをやったときにチラシとかロゴとかを作らせてもらったりとか、町の福祉計画と言われる各市町村がつくる福祉計画を、町民向けにわかりやすく広めたいということで各世帯に配るっていう冊子です。宿泊部門では、これ1号店なんですけど、すぐそこのところで、もともと最初はここでやるつもりはなくて、なかなか物件が見つからなくて、しょうがないからエアビー(AIRB&B)がまだそのとき日本で流行ってないくらいのときで、エアビーで、僕はヨーロッパを旅行したことがあったので、エアビーちょっとやってみようかっていうことで始めたのがきっかけで。意外と需要があることがわかったので、もう民宿として許可を取って、やっていました。そこで、開発というか自然といつのまにかやりだしたのが街歩きと僕らが呼んでるんですけど、ゲストの人と1時間半くらい町を一緒に歩いて、これシンガポール人なんですけど、干物屋案内したりとか、アメリカ人に神輿を担いでもらったりとかっていうのもあれば、日本人の方を商店に案内したりとか。

真鶴 神輿

街歩きの一環で神輿を担ぐ

やってみてわかったこととしては、1つ目が外国人需要。意外と真鶴って当然もうまったく知名度が無いんですけど、ヨーロッパの方とか、外国人がいない町に行きたいみたいな需要もあるみたいで、来てくれる方がいたりとか、あとは移住希望者。地方に移住を考えている方とか、真鶴に移住したいんだけどっていう方が泊まってくれることがあります。最後が、街歩き。少数受け入れ。ここはゲストハウスって言っても本当にここも2組だけですし、たくさんは泊まれなくて、それが逆にいいなと思っていて。本当にそんな需要もないですし、少数で受け入れて丁寧に街歩きとかをしたほうが満足度も上がるので、それもよかったなというふうに思っています。

宿と出版を一緒にやったことによって、出版物っていうのが宿のフライヤーになることが、意外とやる前は全然気づかず偶然やってたんですけど、本当に和歌山も本屋プラグさんにも置いてもらってたりだとか、京都のほうで恵文社さんっていう本屋さんに置いてもらったりですとか、そこで見て、うちに来てくれるとか。普通本屋さんのスペースに宿のチラシを置くなんてことはできないんですけど、それが出版物であれば自然とそこに置けて、しかもSNSとかで本屋自体が発信してくれるので、フライヤーになると思っています。それ以外にも、収入のタイミングが、これリアルな話で、出版って結構3~4ヶ月とかかかっちゃうのが、宿の場合はすぐにお金が入ってきたりとか、宿は天井のあるビジネス、限界がたとえば1日2部屋とか限界が決まってるんですけど、出版物は刷れば刷るほど、ある意味自分で最大値を決めれるところがあって、そこも種類が違うのも相性がいいのかなと思っています。出版はある意味バーチャルなんですけど、宿泊でリアルなものが提供できて、書店とかでもPRできる。

半島暮らし学会キックオフ 資料

真鶴出版が地域のコミュニティへの入り口にしたいなと思っていて、真鶴出版を介して各商店とかに紹介することで、ゲストと住民が、人と人としてつながってくれて、結局すごいいい景色を見てももう一回行こうとはなかなか思えないんですけど、あの人に会いたいっていうのだとリピートしてくれる方が多くて、都会とか観光地だと、必ずゲスト対お店の人みたいなちょっと離れた関係になってしまうのが、真鶴だとケニーがこうやって来てくれたりだとか、なんかこう人と人としてつながることができて、もう一度来たいって感じてくれる人が多いように思います。

宿泊でゲストを街の商店に紹介したりとか、出版ではお店を取材したりして発信することによって信頼関係というのができて、それはたとえば他の宿がこれから真鶴で宿をしても、自分たちだけの強みなのかなって思っています。このへんは飛ばして…ここができる経緯とか。

真鶴 干物屋

で、半島の話。通り過ぎる街っていうのが、よく真鶴について言われてまして、今日ちょっと話にも出たと思うんですけど、ここに東海道線が走っていて、1号線も走っていて、2号線だっけ…も走っているので、あと真鶴道路っていうのがあるんですけど、真鶴道路を通ると、真鶴を通り越して熱海のほうに行っちゃう(笑)。この地下を道路が通っていて、通過するんですね。よくあの、真鶴はいつも通り過ぎて行ったことないですっていう方がいて、房総半島の話にもありましたけど、ここまで来るって、意識がないと来ないんですよ。でも逆にそれがいいなと思っていて、それが本当に島感というか、半島にいる人っていうのは半島に何かしら意識がある人なので、島感が出るのかなというふうに思います。

もう一つが、僕はあまり詳しくないんですけど、よく海の方が言っているのが、ここに真鶴半島があるんですけど、この相模湾沿いっていうのが、ここずっと道路が通ってるんですね。海沿いに。ただこの道路は、ここに半島の付け根を通るので、半島の先端っていうのが道路が通過しない。さっきの御林もここにあるので、この周りっていうのが魚とか海洋生物にとっていい場所になっているそうです。やっぱり相模湾沿いっていうのは道路が、車が通るので、車のライトとかで、けっこうこの近辺っていうのは魚にとって良くない環境だという。でもここは、半島のおかげで海洋環境が守られているっていうふうに思います。

最後は自分の街感ですね。真鶴は特に、歩いて回れる程度の半島なので、なんか自分の街って思っている方が多くて、真鶴にすごく思い入れを持っている方が多いです。それも半島だからこそ、範囲が把握できるというか、小田原って言ってもどこからどこまで小田原なのか、イメージしにくいのが、真鶴の場合は自分のなかでイメージできるというのが、自分の街感を生み出してるのかなというふうに思っています。

真鶴

あと、移住者がだんだん増えてきてまして、画家の方とか、あと最近泊まれる寿司屋ができて(笑)、東京にあった「伊東家のつぼ」っていうすごく有名なお店らしいんですけど、その方が移住してきて、宿泊もできる寿司屋をはじめて。8500円、ランチも限定で。会席料理というか、寿司の前にいろいろこういう前菜とか。でも全然かしこまってなくて。

伊東家のつぼ

「伊東家のつぼ」のお料理

<会場から>川口さん泊まったんですか?
泊まってはないですね、食べただけで。あとフリーダイビングの元世界チャンピオンとか。
移住してくる人の特徴としては、これ僕が勝手に言ってるだけなんですけど、結構ブランドが無いものが好き。真鶴って知名度が無いので、ブランド好きの人っていうのは湯河原であったりとか熱海とか、ある意味、知名度があるところに住むのかなと。あんまりそこにこだわってない人が(真鶴に)住んでいます。あと、規模が小さいものが好き、チェーン店とかよりは、もうちょっと規模が小さいものが好きであったり。あと顔の見える買い物。商店街とかでちょっと会話しながら買うとか。そういうコミュニケーションが好きな人が多い感じがします。それに似てますけど、老若男女のコミュニティが好き。お年寄りとか子どもとかと話すのが好きな方が多いのかなと思ってます。

真鶴

小さな町の良さとしては、行政との距離がすごく近くて、普通区役所の人とかとあんまり話さないと思うんですけど、真鶴町役場の人ってほんともう友達関係というか、いい意味でも悪い意味でも仲が良くて。街とかで出会っても普通にしゃべれるくらいの関係性があります。だからこそ一緒に仕事できたりとかするのかなとも思ってます。もう一つは、つながりやすくてだいたい移住した人っていうのはすぐに把握できますし、あの人とあの人、すぐ人を紹介してくれたり、だいたい誰かにつながってたりとかします。

川口瞬さん

最後は変化が目に見える。これはあの、たとえばあそこの道路にケニーができただけで、夜とかすごく明るくなったイメージがあって、ほんとに一つ一つのお店の力が強いというか。一つ一つのお店で街を変えられるのかなというふうに思っています。それはたぶん移住してくる方のモチベーションにもなりやすいのかなと。

最後が、僕がこれから伝えていきたいなと思っているところで、”地域で生きる”から”地域に生きる”。これまでは、地方移住っていうと、いい環境だけを求めて、自然環境のいいところにおしゃれなカフェをつくってそこで過ごすとか、そういうことが多かったと思うんですけど、それが「地域で生きる」。「地域に生きる」っていうのは、その地域にいる人との交流を楽しんで、その地域にしかない文化をつくること。たとえば真鶴でいうと、観光マップとかに載ってる真鶴っていうのは本当に上辺だけというか。本当は生活、お祭りであったりとか地元の人も集まるお店だったりとか、名物おばあちゃんがいたり郷土料理があったりとか、そういうところがおもしろいのかなと思ってます。

真鶴

何がおもしろいかっていうと、1つ目が「お金がかからない」。今日も寄れたら角打ちとかにも寄りたいと思ってるんですけど、本当に数百円とかで楽しめるエンターテイメントがあったり、祭りとかもあんまりお金がかからないですし。2つ目が「予期できない」。居酒屋の隣のおっちゃんと仲良くなって飲み始めたりだとか、2軒め一緒に行ったりとか、そういう予期できないところがおもしろいと思います。3つ目が「肩書が関係ない」。いま移住者コミュニティとかもあるんですけど、そこは本当、街のお医者さんもいれば、干物屋さんもいて、僕みたいな人もいれば写真家もいて、本当に肩書き関係なくいろんな人が集まっていて、それは東京にはない…東京にいた頃は、僕はやっぱり同業者とかと一緒にいることが多かったので。それがおもしろさかなぁと思っています。

これまでは東京から全国に画一的なカルチャーを発信してたのがこれまでなんですけど、これからは地域独自のカルチャー、今回も本当にそうだと思うんですけど、紀伊半島とか房総半島とか、地域独自のカルチャーっていうのが連携しあって、文化を発掘していくっていうのが、おもしろいのかなというふうに思っています。
はい、以上になります。

川口瞬さん(「真鶴出版」):真鶴半島
1987年山口県生まれ。大学在学中に渋谷の本屋兼出版社、SPBSにてインターン。卒業後、IT企業に勤めながら働き方をテーマとしたリトルプレス『WYP』を発行。2015年より神奈川県真鶴町に移住。“泊まれる出版社”「真鶴出版」を立ち上げる。