半島トーク3:色川よろず屋 共同店主・ライター 千葉智史さん(紀伊半島)

2018年6月30日(土)。神奈川県の真鶴半島にある「真鶴出版」の2号店で開催された「半島暮らし学会」のキッフオクイベントにて、和歌山県那智勝浦町の「色川よろず屋」で共同店主を務める千葉智史さんにお話しいただいた内容の完全版をご紹介します。
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目次 

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僕のミッションは、どちらかというと今までディスられていた山文化のほうを、とても温厚な人たちの住む、紀伊半島のなかでも特に変な場所というか、みなさん名前を言うと、結構ああと言ってくださるんですけど、色川地域というところから来ました。今は那智勝浦町の色川地区というふうに言われているんですけれど、もともとは村の単位で、色川村という単位だったんですけど、今はもう人口が340人くらいしかいない地区になっていて、元々は鉱山で栄えた地域だったので、当初鉱山があったときは3000人くらいの人口がいたんですけど、そこから減りに減っていま340人になってしまって、有名というのは、そのうちの半分が移住者という地域になっていて、170人くらい移住者がいる地域です。

色川地図


 

色川はまさに「陸の孤島」

あらためて紀伊半島の場所をちょっと見てみたいと思うんですけど、764というのは僕の家の住所です。ぜひいらしてください。少しこう半島のなかで、まぁまぁ海に近いかなというふうに見えるんですけど、実際一番最寄りの紀伊勝浦駅から30分くらい車で走らないといけない山の中になってます。あまり知られてないんですけど、実は勝浦温泉まで夜行バスが通ってまして、東京からは1本で来れます。笑
大阪から夜行は出て無くてですね、逆に大阪からバスも出てないんです。今日来たときも、今日の朝着いたんですけど、横浜もバスが経由しているので、深夜バスで横浜まで1本で来れて、そこから東海道線で真鶴に来ました。

電車だと新幹線使っても8時間くらいかかる場所になりまして、大阪からも名古屋からもほぼ同じぐらいの時間がかかる、本当にあの、よく陸の孤島という言葉がありますけど、まさに陸の孤島かなというところに、いま暮らしています。

ちょっと歴史ネタがみなさん多いので…色川は、平家の落人が逃れてきたと言われているところで、実は山の中ってほとんど平家の落人じゃないかっていうくらい伝説が残っているところで、有名なところだと徳島の祖谷(いや)のほうは平家の落人がいたと言われてるんですけど、かなり信憑性が高いんじゃないかというのは、平家の家紋が蝶々なんですけど、蝶々の家紋の旗が色川に残っています。それが平清盛の孫…って言われて名前がわかる方は少ないと思うんですけど(笑)、平維盛(これもり)という方が、どうやら落ち延びて来られたそうで、その方を匿ったという伝説が残っているので、そのときにはもう人が住んでいたというふうに言われています。

那智勝浦町色川地区


 

マチュピチュにも負けない、色川の棚田

那智勝浦町全体の人口は15000人くらいで、減少の一途をたどっているんですけど、色川はなかでも、9つの集落がまとまって、色川村というのが作られています。ちょっと見づらいんですけど、この下のほうに見えているのが、棚田の石垣ですね。ちょっとみなさんに謝らなきゃと思っていたことがあって、プロフィールの写真が、いかにも旅慣れている感じの写真で、ちょっと実際そのあと思ったんですけど、2カ国しか僕行ったことがなくて、大変申し訳なく(笑)。その2カ国が、カンボジアとペルーなんですけど、もともと大学で考古学を研究していて、先ほどちょっとこの話で盛り上がったんですけど、一回マチュピチュに行ってみたいなと思ってペルーに行ったんですけど、色川の棚田を見て、あんまり負けてないなと思って。さらに価値があるのは、それを守り続けている方がいるというのが、ひとつの価値なのかなと常々生活しながら感じています。

こんなところに僕は住んでます。これは僕の家です。なかはこんなふうになっているんですけど、3月末まで地域おこし協力隊という仕事をさせてもらってました。地域活動のサポートということで、地域行事の保存だったりとか、それをどうやってまとめていこうかという記録だったりとか。棚田の保全だったりとか、いろんなことをやらせてもらっていたんですけれども、もともと少しプロフィールの話をすると、生協のカタログを作ってました。東京の東新宿のほんとに都会のど真ん中で、パルシステムっていう生協のカタログを作らせてもらっていまして、それが8年くらいやらせてもらっていて。そのなかでどうしてもこう土着感のある暮らしというか、なんでこう農家さんに取材をして、それを記事にしたりするんですけど、汗水流して直射日光のなかでトマトをもいでいる人の取材をしたのに、僕はクーラーの効いた東新宿の事務所で内勤をしているというのはなんなんだろうなというのを疑問に思ってしまって。こらえきれなくなってというか。地方に出ようということで移住先を探し始めて。で、たまたま地域おこし協力隊の募集を見つけて、色川に入ったというのが、色川との出会いです。

千葉智史さんのお宅

いまは引き続き編集ライティングの仕事は少しやらせてもらっているんですけど、ほかに季節労働ということで、お茶が少し有名というか、やってる方が多いので、お茶の管理を一緒にやらせてもらったりとか、棚田の活動を一緒にやらせてもらったりとか、あとは普通に梅もぎをしたりとか、そういう季節労働もしつつ、地域活動ということで、これは田舎に住む人の宿命かなと思うんですけど、消防だったりとか、区の会計だったりとか、獣害対策の委員だったりとか、数え上げればきりがないほどいろんなことをやらせてもらってるという。

<会場から>たまたま赴任先だったということですか?選んで行ったということですか?
はい、協力隊は基本的に市町村の募集なので、たとえば僕だったら、色川地区の募集に関して、僕が応募するという形。僕の意思でやってます。

<会場から>けっこう移住者はすでにそのころにはたくさんいたということですか?
そうですね、歴史的な話をすると、(移住者が)入り始めたのは40年くらい前からで、その当時は有機農業とかをやっている地域がなかなか無くて、どうしても有機農業をやりたいというグループが移住先を探したときに、この色川に入られて、というのが一番最初らしいです。

<会場から>それは鉱山が衰退した後ですか?
はい、後です。そこで、少しずつ移住者の数が増えていって、ここにつながるんですけど。

色川地区 茶畑

お茶畑で茶刈りをする農家さんたち

これはお茶畑です。お茶の農家さんたちが集まって、農業法人組合両谷園というのを作っています。農薬・化学肥料を使わずに自給的な暮らしをしたいという方々が多くて、だいたいみなさん兼業でお茶をやってらっしゃいます。ほかにはニワトリをやっていたりとか野菜をつくっていたりとか、少し下に(街に)働きに出たりとか、いろんな暮らしをしながらなんとかかんとか生きている、というのがみなさんの実感かなと思います。5月くらいになるとお茶の刈り時になって、こんな感じで新芽が伸びてくるのを、こういう形でこれ茶刈り機なんですけど、両側から茶の葉を刈り取るために樹の上を通していく。こういうことを生業にされている方が多くいます。たまったお茶葉をこういう形で工場(こうば)に持っていって、煎じて商品にする、という。このお茶のベッドがすごく気持ちよくてですね、ぜひ5月に来たら体験できるので、やってみてもらいたいなと思います。手前に見えているのがお茶畑で、奥に見えているのが棚田ですね。こんな風景が広がっている地域です。

那智勝浦町色川地区

地元の方はこういう釜炒り茶と言われる昔ながらの製法で作っている方もいらっしゃいます。あとは和歌山ということで梅もひとつの産地なので、下に見えているのは全部梅なんですけど、梅畑が広がっていたりとか、これが先ほどから何度も話している棚田です。

ちょっとこれも見えづらいんですけど、この上に見えているのは休耕田と言われている、もう耕されていないところで、この下が、ギリギリで守られているところです。これで80枚、4反の田んぼです。さきほど東さん2反って言われてたので、この半分くらいになるかと思います。ほんとに1枚1枚がすごくちっちゃくて、とても機械が入れるような大きさではないので、かなり手作業ないしすごい小さい機械を使ってというような感じで…

那智勝浦町色川地区

<会場から>もともと移住者の人が…?
はい、移住者主体で、会長は地元の方なんですけど、もう地元の方で、これもまたよく、地域の笑い話になるんですけど、地域のなかでの青年は60代なんですよね。なので、青年会っていうのが僕の地区にもあるんですけど、僕が30代、で次の方が40代、この方も移住者で、その次はもう60代っていうような年齢構成で、まぁ本当になんとか守っているというような形です。

いま移住者も地元の方も一緒に会をつくって棚田の保全をしてまして、説明したとおりです。4回のイベントではNPOの方と連携していて、都会…東京が多いんですけど、東京の方が毎回10人くらい来てくれて、田植えと草取りと稲刈りとしめ縄づくりっていう計4回、年間でイベントをしてまして、これ田植えのときデモンストレーションでやってるんですけど、昔は全部牛で耕していたというので、牛耕の体験をしています。

牛耕

<会場から>普段も牛を飼っているんですか?
はい、地区で…というか移住者の2世の20代の子が牛もやっているんで、その子の牛をトラックに乗せて借りてきて、というような形です。

<会場から>それは最終的に食べちゃう(牛)ですか?
最終的に熊野牛として売り出されます。肥育と飼育とあって、こっちは飼育のほうをやっていて、このゆりちゃんっていうんですけど、この子は産んでもらう母牛、子どもが産まれたら育てて市場に出すっていう。これが稲刈りの風景。こんな感じでやってます。

色川地区 棚田

さきほど獣害対策委員という話もしたんですけど、日々山の中は獣との戦いでして、僕も罠免許を取得して、3年目になるんですけど、ちょうど一昨日もネットに鹿がかかってしまったという連絡が住民の方からあって、それをあの…処理しに、止め刺ししに行ったりもしています。本当にあの、もう集落のすぐ回りはみなさんが植えた杉・ひのきで埋まってしまっているので、それをなんとかかんとか守ろうというのが、今の近々の課題になってます。またその狩猟については、獣害対策どんなことをしているのかとか、少しでも興味を持ってもらいたいなというので、ツアーの企画をしている若い子がいるんですけど、その人の企画をお手伝いしたりとかもしています。こんな形で住民でみんなで柵を作ってみたりとか、これは解体をデモンストレーションで教えている、このちょっと下に見えているのが鹿なんですけども、都会の方に来ていただいて、現状とこれからのつながりとかを含めて、いろんな話をさせてもらっています。

シカの解体作業

シカの解体作業をする様子


 

山の中に残るディープな行事や伝統

ディープな暮らしということで、少し行事の紹介もさせてもらえたらいいかなと思って、写真を撮りためたものを持ってきました。かなり行事がまだ山の中で残っていて、その点もこうなんというか、半島だからかなと改めて思いました。特に真鶴の話でもありましたけど、人がなかなか来ない場所だからこそ、行事とか、伝統みたいなところが残っているのかなと。

施餓鬼(せがき)とか地蔵盆とか、こんな形で2ヶ月に1回くらいは地区の行事に出ています。特に和歌山周辺は餅を放る、餅ほりというのが文化というか風習として有名なんですけど、これは住職さんも一緒に投げているのは餅です。餅を放って、みなさんの厄を払うということをやっています。

水大師

亥の子

これもおもしろい風習で、これ竹なんですけど、竹に藁を巻き付けて、この棒を、各家を回って、家の前で歌を歌いながら、この棒を叩くという風習がありまして、11月の最初の亥の日にやるんですけど、「いわーいーめでーたのーよー」みたいな、抑揚のないリズムでずーっと歌いながら家を回って、各家でふるまいでお酒が出てきて、飲みながらこれをぼんぼんぼんぼん突いていくと、なんかトリップしてくるんですよね。これは本当すごいなと思って、この文化っておもしろいなと思って。おそらくそれこそ縄文?というか、文化というかもはや、内側から湧き出てくる何か生命力というか、そういう文化が残っていたりとかもおもしろいなと思って参加しています。

自治意識高めということで、自分たちで道にかかっている木を伐採したりとか、草刈りはもちろんなんですけど、これいま道を作っています。セメントを固めてるんですけど、この固めてる方は職人ではなくて普通の住民で、住民の方が道をつくるとかっていうことまでやると。いうくらいの自治意識というか、なんでも自分でやるという山の文化なのかわからないですけど、というのが印象的だなと。これは水道なんですけど、僕の家も含めて、区に入ってくる水は山から引いてきた天然水なので、当然そのホースがこんな感じで破裂してしまったりすると、自分たちで直しに行かないといけないというので、地区のみなさん、水道係というのがあって、こういうことがあるとみんなで直しにいくというようなこともしてます。

道づくり

なかなか山のなかで暮らしている方に出会うことってないなと思いつつ、移住されていろいろなことをやってる方がいます。このタオルをかけているのは炭職人の方で、山で炭を作っている方なんですけど、この方も移住された方で。これは大学生なんですけど、大学生たち、ないし都会の方たちに、こういう暮らし方もあるんだよっていうのを伝えるためのツアー企画なんかもやっています。これは同じ色川に住んでいる木こりの方なんですけど、木を切る体験をやってもらったりとか、これはお土産用のコースターを作っているところなんですけど、こういう形で少しでも新しい方とか、移住に興味があるっていう方に、いろんな視野を広げてもらいたいなというようなことも仕事としてやっています。夜はキャンプファイアというか、火を囲んでみんなでお酒を飲むというようなことをしています。

伐採体験

<会場から>さっきの鹿を食べたりするんですか?
食べます、はい。今年も11月にやるんですけど、今年はマグロと鹿を同時に解体しようという笑、若い子が企画しているのがあるんですけど、おもしろいこと考えるなーと思って。

<会場から>そんなに遠くないんですよね?
はい、そうですね、僕が住んでいるところからだと、15分くらいで下に降りれるんで、というような距離です。

<会場から>両方楽しめると。
はい。

<会場から>半島らしい。
半島らしい(笑)。

<会場から>山ぐらしっちゅうわけでもないですもんね、そんだけ海が近ければ。
やっぱり山と海は仲良くなくて(笑)、なかなかつながりが出来づらい。

<会場から>そうするとやっぱり外から入った人がやるみたいな役割も。しがらみのない…。
そうですね。それがやっぱり多いのかなと思います。逆に僕らみたいな者が、少しでも間に入れれば、また新しい動きが生まれてくるのかなと。
本当に柴崎さんもお話されていた、宝を守るというところから、宝をどう生かしていくかというのは、僕らが考えてもいいのかなーと最近ようやく思えるようになりました。

「色川よろず屋」の千葉智史さん

ちょっと半島と、なんかあんまり関わってないような気がするんですけど(笑)、この話が半島のライフスタイルのすべてかなと。こういう暮らしを本当に日々しています。逆にこういうところに呼んでいただいて、また別の視点でいろんな話ができる、みなさんと話ができるというのがすごいありがたいし、これが刺激になってまた戻ったときに新しい還元ができるのかなと思っています。

<会場から>めちゃくちゃディープなライフスタイルですね。今はさっきの写真とは別に自分でも借りて住んでいるということですか?
いまの写真のところに住んでます。

<会場から>借家にすごい安い家賃で…みたいな?
はい、色川では高いです。1万5千円(笑)。たぶん、最高額くらいだと思います。

<会場から>豪邸ですか。上等な家。
ちゃんとした平屋で、もう本当にタダで貸してくれるところとかもあるし、逆に管理してくれるからありがたいっていうことで、定期的に差し入れしてくださる方もいたりとか。

半島暮らし学会キックオフイベント

<会場から>移住してくる人は、やっぱり自給自足とかそっち系に憧れている人たちなんですか?
はい、そういう人が多いです。なので僕とか、奥さんも同じ仕事してるんですけど、僕らみたいなのはかなりまだ少数派で、できるだけお金をかけずに自給的な暮らしをしたいというのが7割ぐらい。林業の関係で2割ぐらい、という内訳かなぁと。

<会場から>専業じゃなくていろいろやっているんですかね。
そうですそうです。だいたいみなさん3つ4つ仕事…仕事というかナリワイをもっていて、それを回すような感じです。

はい、以上です。

「色川よろず屋」の千葉智史さん
千葉智史さん(色川よろず屋 共同店主、ライター):紀伊半島
1984年、北海道生まれ。編集制作会社での生協のカタログ編集を経て、2015年和歌山県那智勝浦町色川の地域おこし協力隊に。地域活動のサポートをしながら、田んぼ、お茶、畑、狩猟など、地に足ついた暮らしを目指して、緩やかに奮闘中。唯一残る地域商店「色川よろず屋」の共同店主として、都市と農村をイコールでつなげられたらという思いで活動を開始。